僕は落ち込んでいた。次の曲が夜明けのMEWだったのに、また注文が入った。仕方なく腰を上げ、店内奥にある14型テレビのスイッチを切り倉庫へ向かう。急いで一升瓶が6本入ったケースを1トントラックに積んで、助手席に飛び乗りラジオをつける。はじまった!狭く暗く冷たい車内に溢れるくぐもった音。モノラル。それでも美しいイントロに静かに感激していると、運転している父が突然切り出した。「若狭でエエ型のチヌが上がってるらしいど、年明けたら行くで。」などと、今はどうでも良いことを音にかぶせてくる。国道に入り、早まるスピードとともに大きくなるエンジン音、間もなく山を抜ける為のトンネルに入り、ラジオはほぼ聴こえなくなった。「チヌか、ええなあ」と、やるせない気持ちを抑え込んで呟やくのがやっと。トンネルを抜けると、すでに次の曲になっていた。もう今年の紅白に用が無くなった僕は、懸命の笑顔で酒の配達を続けることにした。
何件もの配達を繰り返し店に戻ると、おじいはんとおばあはんが店にきていた。スイッチの入ったテレビからは蛍の光。「さあ紅白も終わったし、みんなでそば喰うでー」おじいはんが言う。「その前に掃除ですわ」と父。僕の担当は店舗外周り。刺すように冷たく痺れるバケツ水に、覚悟を決めて手を入れぞうきんを絞り、自動販売機や看板を拭き始める。脚立に足を掛け、高い看板に手をのばしたとき、方々から、お寺の鐘が響き始めた。『ああ、年越してもうた、はよ行かな』
そばをかき込み、ウォークマンを手にして駅に向かって猛然と走る。すでに年が明けて1時間がすぎていた。すれ違う、火縄をクルクルまわしながら笑顔で家路につく人たち。ヘッドフォンからモリッシー。切らす息。口から吐き出す白煙が顔にあたる。それを避けるように顎を上げると、空は真っ黒。初日の出は無理そうかな、なんて思う。15分走って、今夜だけ終夜営業の路面電車で街に向かう。顔をガラス窓に寄せながら、カセットを変える。サイコキャンディ。こないだ買ったTDKのハイポジ、ドルビーCで試したらノイズがマルマルして全然あかんかったからBにしてみた。再生ボタンを親指でカチャ。ざらざらしたノイズ、何層にも連なるフィードバック、ドキドキする。やっぱBだな。車窓から、夜中の街が時速50kmで後ろに後ろに流れてく。つり革が網棚にあたるほど心地よく横揺れする車内。ここには闇と少しの光と轟音しかない。ジャストライクハニー。しばらくこのままでって思った瞬間に終着駅。車掌の声に押し出されるように下車した僕は、また走り出す。ラーさんの店へと急ぐ。2時間遅刻の年越しパーティー。彼女、怒ってるやろな。エレベータが混んでいたので、非常階段を駆け上がる。着いた。重い木造の扉を開ける。大きな音で迎えてくれたのはウェイラーズ。ハレルヤタイム。新年から、ええやんか、ラーさん。気分上昇、カウンターへ向かう。「たけちゃん、おめでとうさん!」マミさんがハーパーのボトルを掲げながら言う。マミさん綺麗なんで、いつも目線を外してしまう。こんばんわーと席に着く。「あれ、だれもおらへんやん?」「みんなメシ喰うたらすぐマハラにいきよったわ」レコード変えながらカウンター越しにラーさんが言う。「オーティスかけたるわ、特別に」またラーさんが言う。特別らしいから、ありがたくユーセンドミーを聴く。しばらくして店に電話が鳴った。彼女から。「遅過ぎちゃう?はよこっちにきいや!」「えー、いまついたとこやし、ていうか、こっちにきいや、オーティスやでー」「なにゆうてんの、みんないるねんで、こっちに。もうしらんわ、あほか!」
なんでこんなに歪んでしまうのだろうかって、ラーさんに漏らしそうになったが、我慢した。受話器を置いたらタイムズゼイアーアチェインジンが流れ出したし。変なのは自分かもって感じはじめていたし。(竹見正一)