たくさんの大人と出会う場が自己肯定感を育んでくれます

  • 2018年1月1日
  • 2020年12月11日
  • JO対談

子どもの未来サポートオフィス 米田佐知子さん

江森:私が米田さんに初めてお目にかかったのは、横浜型地域貢献企業の集まりでNPOの皆さんと交流する企画があり、米田さんに「神奈川子ども未来ファンド」の事務局長として参加していただいたときだったと思います。現在はフリーランスとして講演活動などをされていますが、このような活動に関わったきっかけはなんだったのでしょうか。

米田:社会的な問題に関わるようになった出発点は、学生のときにアジアの南北格差の問題に関わったことなのですが、就職してからもアフター5でNGOの活動に参加したり、休暇をとってフィリピンのスラムに行ったりと、当時としては変わり種のOLでした。その後ボランティア活動で知り合ったいまのパートナーと結婚することになって大阪から横浜に来て「まちづくり情報センターかながわ」というところに勤めました。今でいうNPO支援センターのはしりでしたが、当時はまだNPOという言葉も知られていない時代でした。

江森:子ども支援の活動にはどのように関わるようになったのですか。

米田:私自身が1人目の子の出産・育児をしたときに、近くにまったく助けてくれる人がいないという状態になってしまい、それをなんとかしたくて「子どもを連れていても暮らしやすいまちにしたい」というテーマで横浜市の市民協働事業に企画提案したところ、運良く採用されたのです。当時はまちづくりをするときに、子育て中のお母さんの声を聴くなんてことはほとんどありませんでしたし、親子の物理的な居場所も精神的な居場所もありませんでしたので、ある意味画期的なことだったと思います。

江森:今でこそ「密室育児」などという言葉もできて、親子の居場所のなさが問題になっていますが、当時からすでにそういう問題はあったのですね。

米田:横浜も転入者が多いですが、全国的に見ても自分の生まれ育ったところではない環境で「アウェイ育児」をする人は全体の7割に達すると言われています。そういう環境で本音をさらけ出して周りの人と付き合うのはなかなか難しいことですが、ちょうどその頃、文京区音羽で「春奈ちゃん事件」が起きました。お母さん同士のトラブルから相手の娘の春奈ちゃんを殺害してしまったという事件でしたが、それがとても他人事とは思えなくて、明日にも自分の身に起こるのではないかという危機感があって、そのことについて話そうと呼びかけたらすごい反響がありました。

江森:今は子育て支援はあたり前になっていますが、当時の自分のことを振り返っても、申し訳ないぐらいにまったく問題意識がありませんでしたね(笑)。いつ頃から言われるようになったのでしょうか。

米田:「1・57ショック」といって1989年に合計特殊出生率が過去最低になったのです。これによって本格的に少子化対策が始まりました。私自身の経験を振り返っても、当時は子育て中の親子に限らず、障害のある人とか、高齢者の介護をしている人とか、いろいろな問題を抱えているだろうと思われる人が気軽に立ち寄れる場所がまちの中に少なくて、社会的なハンデを背負っていても集える場が欲しいと思っていました。

 そういう活動から、子どもの居場所づくりの支援が「神奈川子ども未来ファンド構想」参加につながり、多世代のいろいろな人が混じり合う場づくりの活動が「コミュニティカフェ」につながっていきました。

江森:こども食堂の支援もされていますね。

米田:いまはフリーランスとして、子ども支援の活動への助言や、企業が運営する子ども支援活動助成プログラムのサポートなどを通して、子ども未来ファンド時代にいただいたたくさんのご縁や、寄付と一緒にお預かりしたみなさんの「思い」を社会に還元するつもりで活動しています。子ども支援も最近では居場所づくりも含めたまちづくりと密接に関わるようになってきて、子ども支援×まちづくり×居場所(コミュニティカフェ)が掛け合わさったのが「こども食堂」ですから、これまでの延長と思って関わっています。NPOが運営する居場所はテーマ型なのですが、こども食堂は地域の中で地域の人たちが運営するという意味で、また新しい可能性が拓けてきたと思います。子どもたちの課題もテーマと地域に切り分けられなくなってきていますし、これからはNPOと地域のこども食堂がお互いのリソースを活用しながら、子どもたちを面で支えていければよいと思っています。

江森:現在の子どもを取り巻く状況は少しは改善しているのでしょうか、それとも一層厳しくなっているのでしょうか。

米田:厳しくなっていますね。よくお話しするのは自己肯定感が低いということと、15〜24歳の人が亡くなる理由の第一位が自死であるということです。これは子どもたちが「自分なんて生きていてもしかたがない」と諦めてしまっているということであり、それは大人と社会が子どもから諦められてしまっているということでもあると思います。そうさせないためには、子どもが小さいうちに、親と学校の先生以外のたくさんの大人と出会う場を作ることです。そうすることで、人にはいろいろな生き方があるということを子どもが知ることにもなるし、逃げ場になり得る居場所ができるのだと思います。

江森:そういう機会がなくなってしまった背景には何があるのでしょうか。

米田:そもそも大人が関係を切ってしまっていますよね。プライバシーを守りたいから、自分のことはオープンにせずに、有料のサービスでまかなっていくわけです。そうやって関係を切ってしまった親と暮らしている子どもは、社会的相続というかたちで親の近所付き合いとか価値観を受け継ぎますから、社会的なつながりの薄い子どもになります。そうやって本当の自分をわかってくれる人、自分を認めてくれる人がどこにもいないという状態になってしまっているのだと思います。

江森:もはやそれは一部の条件の整っていない家庭の問題ではなく、すべての家庭に共通していえることですね。

米田:ですからもう一度つながり直すことが必要なのです。でも昔のような関係に戻すのは無理ですので、ゆる〜い出入り自由な関係をいくつも持っているということが、大人にも子どもにもセーフティネットになる時代なのではないかと思います。親が「知らない人から声をかけられたら逃げなさい」と、子どもと地域の大人の関係を切ってしまっていますから、子どもの居場所も一か所だけでなく複数か所必要ですし、安心して話せる大人はたくさんいた方がいいのです。

江森:今日もうひとつお聞きしたいのはNPOの今後ということなのですが、いま話してきたような社会課題については、これまでNPOが担ってきたわけですが、企業のコスト競争が限界になってきたときに、事業化可能な社会課題解決に企業が進出して市場化してくる可能性があります。NPOの役割も変わってくるのではないでしょうか。

米田:受益者がコスト負担できる事業性のある取り組みについては、担い手が誰であれ収益事業としていけば良いと思いますが、やはり地域には声があげられないとか、誰も気づかない新しい課題が生まれてくるので、そこにいち早く気づいて、そのことを社会に向けて発信をし、解決策を提案していくというのは、それがまさにNPOの本来の役割だと思いますし、これからも手放してはいけないと思います。そしてそれができるからこそ、企業が社会課題に取り組もうとしたときに、NPOが専門的な立場で手を重ねることができるのだと思います。

江森:確かに企業の立場からすると、NPOの人たちには、会ったときに何らかの刺激をもらえるような存在であって欲しいと思いますね。

米田:そこで注意しなければならないのは、とかく新しい課題に取り組んだり、改善されていることを数値で表現したりすることが求められる世の中ですが、今よりも悪くならない現状維持の取り組みにも大きな価値があるということです。そういう地道な取り組みを社会全体で応援するという気運を作っていかないと、変化という成果を上手く表現できるNPOだけに資源が集中してしまって、小さなNPOが淘汰されてしまうのではないかという危惧をもっています。補助金が出ているうちはよかったけれど、補助金が切れたら大手のNPOが引き上げてしまい、結局地域に何も残らなかったということは避けたいですよね。それには地域の人たちがこの地域のためにどんな活動が必要で、そのために何を応援していくのかということを見る目を持ちたいですし、それを育む場が必要です。実はコミュニティカフェはそういう場になれる可能性を持っていると考えています。

江森:今後はどんな活動をされるのですか。

米田:子どもたちが明日に夢を持ち、自分を信じて生きていけるように、これまで私がいただいたご縁や知恵をわかちあい、力を合わせていきたいです。それぞれが単独でできることには限界があります。これからはリスクを恐れて閉じてしまうのではなく、個人もNPOも企業も開いていく時代だと思うので、開いたみなさんを繋ぐことでお役に立てればうれしいです。

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