全国各地の出張先で横浜から来たと言うと7 割ぐらいの確率で「中華街ですね!」という反応が返ってくる。みなとみらいも随分発展したし、野毛あたりも全国に名を知られるようになってきてはいるが、やはり横浜=中華街なんだなと、ちょっとがっかりしたような、それでいてホッとしたような複雑な気持ちになる。小生が子どもの頃は法事などで親族が集まると決まって中華街に出かけ、お決まりの店でお決まりの料理を食べたものだ。耳の赤いチャーシューと蟹肉入りふかひれスープが大好物だった。時代とともにそういったトラディショナルな中華料理店が少なくなり、最近では外で食べるスタイルの店頭販売が賑わっている。肉まんぐらいなら歩きながら食べるのも一興だろうが、小籠包を立って食べている人を見るとなんだか落ち着かない。
横浜中華街の歴史は開港当時まで遡る。植民地の中国を拠点にしていた欧米人に連れられてやってきた中国人が、商店や飲食店を現在の中華街付近に開業したのが中華街の起源とされる。大戦後、戦勝国となった中国から送られてくる豊富な物資で闇市として賑わったが、朝鮮戦争の終結とともに軍人がいなくなり、閑散とした街になっていった。そんな状況を見かねて、横浜市と横浜商工会議所が1953 年に「チャイナタウン復興計画」を打ち出し、「善隣門」の前身となる「牌楼門」を建設、現在に至る発展の礎となったようである。
中華街の復興に行政と商工会議所が乗り出すあたり、横浜らしいというか、みんなで作ってきた街なんだなと思う。
そんな歴史の影響かどうかはわからないが、横浜には確かに中華料理の文化が浸透している。小生の実家では週に何回かは中華風のおかずが食卓に上っていたし、餃子も焼売も家で手作り。それが当たり前と思っていたが、他所でこれを言うと驚かれることが多い。
当然我が家でも中華調味料はひと通り常備している。今日は冷蔵庫の在庫一掃「鶏と野菜の辛し炒め」。豆板醤のさわやかな辛味にナンプラーで風味付け。(江森克治)