この物語を、次の世代に伝えていくことが自分の使命と思っています。

JO

流れる雲よ横浜実行委員会 丹野快一さん・勝又恵子さん

江森:お二人とはNPOの活動なども含め長年公私にわたるお付き合いをさせてもらっていますが、今日は『流れる雲よ』という特攻隊を題材にしたミュージカルの横浜公演を、2年続けて実現された実行委員会の委員長・副委員長という立場でお話を伺いたいと思います。
まず特攻隊を扱ったものというと、小説や映画はたくさんありますがミュージカルというのは珍しいように思います。この作品はどのようにして誕生したのでしょうか。

勝又:この作品の脚本を書いている草部さんと、一昨年まで本公演に出演されていたArcheさんがラジオ番組をやっていた関係で、元々はその番組内でのラジオ劇として書かれたものなんです。どういう経緯かわかりませんが25年前にラジオ劇がミュージカル化され現在まで続いているということです。私は12年前に初めて『流れる雲よ』を観ましたが、その頃は本当に小さい劇場でミュージカルとは謳っていましたが、今ほど歌や踊りはなく、演劇に近い作品でしたね。その後エンターテインメントとしてもっと観やすいものにしようと改良を重ねて今のようなスタイルになったのだと思います。

江森:それで話の中にラジオが出て来たするんですね。そして24年目にして丹野さんが横浜公演に名乗りを上げるわけですが、これはどういう経緯で?

丹野:僕が初めて舞台を観たのは3年前なんですけど、この物語は子どもたちの代に伝えていかなきゃいけないって思っちゃったんですよね。うちの息子が当時17歳で特攻隊の人たちと同年代だったということや、その年の1月に知覧の特攻平和会館に初めて行ったことなど、タイミング的にちょうど重なったということもあると思いますが、観終わってすぐに横浜でやるにはどうしたらいいでしょうか?って後援会長に聞いてました(笑)。

勝又:その後援会長というのは私の大恩人で、丹野さんがやるならあなたも手伝いなさいって言われて「はい」と言うしか選択肢がありませんでした(笑)。
丹野:全国各地で実行委員会が立ち上がって地方公演をやっているというので、すぐに3か所観に行って、もうそのときにはすっかり横浜でやる気になって運営側の立場で見てましたね。

江森:うすーい関わりの中で、私も皆さんの活動を横から見てましたけど、特に1年目は結構大変そうでしたね。

勝又:劇団とのやり取りが大変だよって言われてはいたんですよ。1回目のときに照明を実行委員会で用意してくれって言われて、劇団からはスポットライト2つ動かせれば大丈夫と聞いていたので、音響が専門の知り合いに無理言って頼んだんですけど、いざ打ち合わせしてみたら全然そんなレベルじゃなくて…本職の照明さんじゃなきゃとても対応できないことがわかって、あれは焦りました。協賛金も集めて、チケットも売って、みんな来てくれるのに公演ができないかもしれないという危機です。本当
に怖かった。結局劇団に泣きついて、劇団の社長が当日の照明もやってました(笑)。

江森:今年はどうしたの?

勝又:今年は最初から劇団に丸投げです。もうできませんって(笑)。

丹野:集客も大変でしたね。昨年は何はともあれまずはお金だということで、協賛金集めを必死にやったんですよ。何とか目標額に達したはいいんですけど、会場が450人入るホールだったので、協賛の方が全員来てくれたとしても三分の一も埋まらないんですよ。お金は足りてても会場がガラガラじゃカッコつかないということで、それからSNSもやったし、西公会堂の近くのお店に通ってチラシ置いてもらったり、周辺のお宅にポスティングも結構やりました。

江森:ポスティングなんかやってたんだ!それは大変でしたね。1年目のときはスタッフも少なかったしね。

丹野:それも苦労しましたね。実行委員会の立ち上げ4人でしたからね(笑)。

勝又:キックオフ会議のとき後援会長に「普通は20人ぐらいいるもんだぞ、大丈夫か?」って心配されましたけど、そこから声掛けして、結局実行委員引き受けてくれたのは全員*まちbizの人たちでした。丹野さんが10年かかって築き上げた信用の賜物です。

丹野:2年目もほぼ全員残ってくれてありがたかったです。いい仲間ができて感謝です。

江森:観客の反応はどうですか?

丹野:観てくれた人の反応はすごくいいですね。あんまり反応がいいんで、1年目の実行委員長挨拶で「来年もやります!」って思わず言っちゃったぐらいです(笑)。

江森:あればびっくりしたよね(笑)。

勝又:ちょっと何言ってんのよ!って思いました(笑)。

丹野:いやでもそう言いたくなるぐらい、すごく感動したとか、やっぱり伝えていくべきだよねとか、子どもと一緒に観たいとか、そういう声をたくさんいただきました。そして何といっても一番嬉しかったのは、実行委員会に高校1年生が入ってくれたことです。

江森:昨年これを観て来年は実行委員会に入りたいと言っていた方ですね?この作品のどこが刺さったのかな?

勝又:学校がそういう教育をしてるみたいですね。戦争の勉強をしたり、沖縄に行って戦争体験者の話を直接聞いたりとか。そういう下地がありながらミュージカルを観たことで、自分ごととしてリアルにイメージできたんじゃないかな。それでみんなに伝えたい!ってなったみたい。
彼女は来年もやるって言ってます。この前の実行委員会で言ってたんですけど、私は皆さんと会える実行委員会の日は、前日からわくわくしちゃって、ああ明日だって思ってましたって。かわいいですよねえ。来年の目標は、学校で『流れる雲よ』の試写会をやることだそうです。そのために生徒会の役員選挙に立候補したんですって。今年のアンケートでも15歳と20歳の女子が実行委員会に入りたいに○をつけて、感想もたくさん書いてくれてました。若い世代にも着実に広がっています。

江森:批判的な意見はないんですか。

勝又:アンケートではありませんが、直接聞いたところでは、良かったけど自分ごととしては考えられなかったとか、国歌斉唱が怖かったという意見はありましたね。

江森:国歌斉唱は私もどうかと思いましたね。国歌って歌うシチュエーションが決まってるでしょ。卒業式とか表彰式とかサッカーの試合前とか。それをミュージカルの公演で歌うのはふさわしいと思わないし、何か別の意図があるんじゃないかって訝ってしまう人もいるでしょう。

丹野:もっとたくさんの人に観てもらうためには、舞台の前後も含めた演出面で検討すべきところはありますね。

江森:私は地方公演の催行形式、つまり実行委員会が主催するという形式に限界があると思います。みんなボランティアだし、思いが出すぎるというか、やっぱりイデオロギーが露呈してしまうのを避けられない。

勝又:でも主催者としては思いを伝えたくてやってるわけだから、それができなきゃやってる意味ないって思いますよね。

江森:その思いはエンタメ作品として観たい人には雑音になる場合もあるだろうし、主催者によっては偏ったプロパガンダに利用される危険もある。あくまで劇団が主催して実行委員会は黒子に徹した方が良いと思います。

丹野:これは脚本家の草部さんが言ってたことですが、これまで25年間右だ左だとさんざん言われながらやってきたけど、一番気を付けてきたのは真ん中でいようということだと。劇団としては何かを押し付けたりするつもりはなく、観る人が自由に感じてくださいというスタンスで作っているんだと思います。でも僕は『流れる雲よ』に関わったことで、日本が大東亜戦争を始めた理由、欧米に植民地化されたアジア諸国を解放するためだったということを知って、日本人として誇らしいと思いましたし、そ
ういうことを知れたのは良かったと思っています。

江森:それがすでにバイアスかかってるってことなんだけどね(苦笑)。戦争を始めた理由なんて、それこそ何通りもの解釈があるし、実際当時の政府や軍にだっていろいろな考え方の人がいたわけですよね。この作品は植民地解放だからという理由で戦争を正当化することを意図しているわけじゃないでしょう。自分の子どもが生まれるって日に「俺が行かなきゃ誰が彼らを守るんだ」なんて悲しいセリフを、もう二度と日本国民に口にさせてはいけないという思いを強くするために観てほしいと思いますね。

丹野:これまでの2回はとにかく無事に開催することに必死で、他でやってることを真似してただけで、自分たちの公演をどうやっていこうかなんて考える暇もなかったですけど、次回はちゃんと考えたいですね。

勝又:今回公演のPRも兼ねて試写会をやってたんですけど、試写会だけで終わりじゃつまらないので、観終わってから少しディスカッションの時間をとってたんです。そういうことが大事なんだろうなって思いますね。そっちがメインでもいいぐらい。

江森:それはいいことですね。戦争のことなんて普段あまり話す機会がないからタブー化しやすいけど、そうやってみんなで話すことで平和を誓う気持ちが強くなっていくのではないかと思います。来年もがんばってください!

*まちbiz
横浜市青葉区を中心に活動している起業支援ビジネス
コミュニティ「まちなかbizあおば」

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