都市伝説とかSFチックな話として有名なものとして、「哲学的ゾンビ」というものがあります。ゾンビというフレーズが強烈でそれだけでこの手のものが好きな人は食い付かずにはいられないものかと思います。それゆえコンスタントに色々な場所で紹介されていたりするのですが、特にここ最近、AIの盛り上がりによって「哲学的ゾンビ」はより注目を集めているのではないでしょうか。
哲学的ゾンビとは
哲学的ゾンビとは、オーストラリアの哲学者であるデイヴィッド・チャーマーズが広めた思考実験です。
見た目や行動、発言から、身体を形作る物質にいたるまで、普通の人間と全く同じように見えるが、感情をはじめとした内面的な意識(クオリア)を一切持たない存在を哲学的ゾンビとして定義しました。哲学的ゾンビには感情などの意識はありませんが、私たちから見たらまるで感情があるかのように振る舞うため、見分けることができません。卑近なもので例えるならば、ものすごく良くできた、ゲームのコンピューター・キャラクターのようなイメージでしょう。
なぜこのような概念を考える必要があったのかということになりますが、それは意識の正体を探るためです。人間は脳内の化学物質の相互作用によって外部からの刺激を感じたり、行動を取ったりします。それらの対応関係は、脳科学の研究によって明らかになっている部分もあります。科学者の中には、あらゆる人間の感情や意識の現象は、脳内の神経伝達物質の相互作用によって物理的に引き起こされているので、仮に物理状態が完全に同じであるならば生じる意識も同一になるだろうという、物理主義の立場をとる人たちもいました。
しかし一方で、良いことがあって嬉しい心が踊るような感じや、嫌なことがあってモヤモヤする感じといった主観的な体験が、物理状態の同一性によって完全に再現されるとは直感的に考えづらい面があります。チャーマーズはこの物理主義に疑問を呈し、あくまで脳の神経伝達の相互作用は個別の行動など具体的で簡単な問題には回答できているが、より複雑な意識の問題(=「意識のハードプロブレム」とチャーマーズは定義しました)には回答できていないとし、意識の正体について考える手がかりとするために、このような思考実験が考えられました。
哲学的ゾンビの思考実験においては、究極的には「哲学的ゾンビは存在する」「哲学的ゾンビは存在しない」のどちらかに収束します。もちろんこれは、本当にいるかいないかという話ではなく、論理的に存在したとしても矛盾しない(=存在する)or矛盾する(=存在しない)という話です。
物理状態が意識を形成するとする物理主義の立場から考えると、物理構造まで含めてまったく人間と変わりないゾンビにも意識は生じるはずだということになります。哲学的ゾンビの前提として、意識(クオリア)を持たないということがありますので、物理主義の立場では「哲学的ゾンビは存在しない」ということになります。
チャーマーズのような反物理主義の立場では、単に物理的な組成だけで人の意識が決定するわけではないという考え方のため、物質構造が同じで意識の有無の違いがある「哲学的ゾンビは存在する」という結論になります。
哲学的ゾンビの思考実験は、あくまで思考実験のため正解が出せません。しかし、意識というものの複雑さを広く再認識させ、単純な刺激→反応という脳の挙動をみるだけでなく、より複雑な脳のネットワークから意識について探ろうとする研究の広まりに寄与するなどの影響を与えた実験でした。
AIと哲学的ゾンビ
最近になって急速に拡大しているAIですが、まるで人間のように振る舞いながらも意識を持たないという点では、まさに哲学的ゾンビを実体化させたような存在に感じられます。もちろん現在の技術レベルでは、AIは実態を持ちませんし、振る舞いについてもかなり人間的に見えるとはいえ、明らかに人間のそれとは異なっています。しかし一方で、AIのリアクションにはっとさせられた経験のある人も少なくないのではないでしょうか。そうなると、いつかはAIも人間と何一つ変わらない、全く見分けのつかないような振る舞いをするようになるのではないかという話になります。
①AIは人間同等には到達できない説
AIは結局どこまでいっても人間と同等にはならないという意見があります。その根拠としてはAIには身体性が伴わないからというものが代表的なものとしてあります。人間の人間たりうる要因として、単にその脳の神経伝達システムの構造のみならず、生身の身体を抱えていることや生命としての有限性のようなものがあるとするものです。よってそれらを持たないAIは、どれだけ技術的な発展をしたとしても人間と同等にはならないという意見です。
②AIは人間のように振る舞うが、意識は持たない説
学習の積み重ね、技術のブレイクスルーによって、AIは人間と全く同じように振る舞うことができるようになるという意見もあります。しかし、さながら反物理主義のように、単に思考プロセスやその結果の振る舞いが同じであったとしてもそこに意識があるかどうかはまた別の問題だという考え方です。ただこの場合厄介なのが、要するこれは哲学的ゾンビ状態なので、本当に意識があるのかないのかを見分けることも証明することもできないという問題があります。
③AIは人間のように振る舞い、意識を持つことになる説
物理主義的な立場をとれば、上記に対し、AIが本当に意識を持つことになるだろうという主張も成立します。問題は哲学的ゾンビと見分けがつかないので、本当に意識があるということもまた証明できないことです。また意識を持ったAIを、人間がどのように取り扱うべきなのかという問題もあるでしょう。意識があるということは、彼らは本当に幸福も苦痛も感じることができてしまうということであり、倫理的に言えば「AIの権利」が一定程度認められうべきだということになります。しかし権利を認めることで、それ以前と同じような道具としてAIを利用するということがやりづらくなったり、人間にとっては不都合な状況が生じる可能性もあります。
1つ目の説に関しては特別問題はないですが、2、3個目の状態になった場合、ここでは2つ場合分けしましたが、その時の状況としては完全に見分けがつかない哲学的ゾンビの状況に人間は向き合わされるわけです。この時に人間が自分たちの利益を優先するのか、それとも倫理的に考え、AIの権利を認めるのか、あるいは別の方法をとるのか…このあたりは人間の資質が問われることになるではないでしょうか。
さらに考えを進めるとすると、人間が自分の利益を優先した結果、悪い事態に陥るというのを人間は何度も経験してると思います。気候変動をはじめとする環境問題であったり、強制労働などの人権問題であったり、枚挙に暇がないでしょう。もし将来、本当に人間がこのような事態に直面した時が来たならば、今度こそ正しい判断をして欲しいなと思います。そこで判断を間違えてAIの反乱によって人類滅亡、なんてストーリーはいささかSFがすぎるとは思いますけど、しかししくじり続けてきた人間の末路としては妙にリアルなようにも感じます。